水は低きに流れ、人は快に流れる
2008.11.30 (Sun)
楽があれば苦もある。。。涙のあとには虹もでる。。。
これも、法則。。。
エネルギーの。。。
思いきり片方にひっぱれば、その反動でもう片方にひっぱられる。。。
ハーブ絡みの調べものをしていた時、おもしろいお話を発見しました。。。
小池寿子さんの書かれたものだったのだけど、今はそのサイト、
なくなっちゃったみたい。。。
そこに書かれていたこと、少し抜粋します。。。
「多くの人々が『快』を求めているのだ。
それは、物のない時代、働くことが美徳とされた時代を経て、
物質的な豊かさから精神的な豊かさを求める時代へ
移行したからであろうが、それだけではあるまい。
『快感』を、身体が知ったのである。おいしい、気持ちよい、
そして、癒される。自分の心身が心地よいと感じる状態を求めて、
人々は生活形態を変えるまでに至っている。
<中略>
かつては、栄養のあるものを摂取することが、健康と富の象徴で
あったのが、今度は『出せ』というわけだ。『快』を求める人間の
方向性が、『進化』を求めてきた、通念の歴史的変遷に逆行し始めたのである。」
(これはデトックスについてのお話の中で書かれていたことです。。。)
小池さんは、
「水は低きに流れ、人は快に流れる」
・・・とおっしゃっていましたが、全くですね。。。
楽な方へ、楽な方へと流れていくのは、人のサガだと思ってます。。。
だから、それはそれでいいのだけど。。。
ただ。。。
あまりにもそのまんま放置していると、エネルギーの法則で
いつかはその反動がやってきそう。。。
私の印象では。。。
人は自ら大変な方へ進んでいって、その反動で「快」を得る。。。
っていうのは、あまり多くはなさそうで。。。
その逆なら、たくさんありそう。。。(苦笑)
小池さんは、こうもおっしゃってました。。。
「通念による歴史的変遷としたのは、そうではない、苦行僧など
宗教的・精神的修業に心身を投じる人々の歴史が一方である
からだ。そこにはつねに『苦』が伴い、それは、先に言うところの
通常の『快』の希求ではない。そして彼らの『苦』の果てには、
聖なる境地『脱我』があり、そこで獲得されるのは一種の『快』である。」
マスターから、解脱とはなんぞや。。。
みたいなことを教えてもらい、それに心から納得したら、人は「快」を求めて
苦行をするのかもね。。。
赤ちゃんに会える歓びを知っているから、陣痛に耐えられるように。。。
それもひとつの手。。。なのかもしれないね。。。
けど。。。
ゾクチェンの修行で虹の身体を手に入れても、また生まれかわって
くるということは。。。
やっぱり結局は。。。
結果ではなくて、経過。。。
そっちに意味があるのだろうと。。。なんとなくそんな気がしちゃいます。。。
私の個人的な想いかもしれないけどね、その究極の「快」は。。。
その人の準備が出来ていないうちに受け取ると、危険だと思っているの。。。
廃人になっちゃうかも。。。って。。。
詳しく??は、ずっと前に、こちらの記事に書きました。。。「RAINBOW with the BLACK」
なので、そういう苦行はもしかすると、その「快」を得るためではなく、
それを知ったあとでも、ここで普通に生きていけるようになるために、
心を鍛えるものなのかも。。。
なんて思ったりもします。。。
まだまだよく解らないのだけどね。。。
でも。。。
私はちょっと。。。極端なのは苦手かな。。。(苦笑)
やっぱり中庸で。。。
・・・と、個人的には思います。。。
トラックバック
この記事のトラックバックURL









